品川区議会会派行政視察報告
品川区議会会派自民党・子ども未来は、2018年8月6日から8月8日の3日間、香川県豊島、高知県高知市で行政視察を行いました。私もクリニックの方は代診の先生にお願いして、8月7日~8月8日の高知市の視察に参加しました。
以下、日を追ってご報告いたします。
1.高知市視察-高知県庁
8月7日(火)、区議会会派の視察としては2日目に、私も東京から合流しました。
この日は、高知県庁議会棟で、まず、岩城高知県副知事からご挨拶をいただいた後、行宗高知県観光振興部副部長、三木文化振興課長、小笠原政策企画課長などから、高知県と品川区の連携、交流と観光施策について、説明いただき、その後質疑を行いました。
現在、品川区と高知県は交流が活発に行われていますが、実は品川区と高知県は歴史的に深いつながりがあるのだそうです。江戸時代、土佐藩下屋敷は品川宿に置かれていました。
そのため、ペリー来航に際して、土佐藩は立会川河口に砲台(浜川砲台)を構えましたが、この浜川砲台の礎石が平成16年に見つかり、品川区はこの礎石を高知市に贈呈し、現在高知市の「竜馬の生まれたまち記念館」に置かれているのだそうです。
じつは私も平成19年に、この記念館を訪れていたのですが、礎石のことは全く知りませんでした。
高知県庁会議室で | 高知県庁議員棟 | 県庁の裏が高知城でした |
さらに、山内容堂の墓所が大井公園に、板垣退助の墓所が品川神社にあり、また、復元された浜川砲台が新浜川公園に設置され、品川区と高知県は歴史的にも接点が多いという、ご説明でした。
現在でも、品川区役所内に高知県のPRコーナーがあり、中延よさこい祭りに高知県のブースが出展されたり、品川区が主催した全国シティプロモーションサミット
in 品川にも積極的にご参加いただいたりしています。
そして、8月締結を目指して、現在、品川区と高知県の連携協定の準備が進められているというお話でした。
高知県は観光事業に力を入れており、大政奉還、明治維新から150年目にあたる平成29年、30年に、「志国高知 幕末維新博」を全県下25会場で大々的に展開しています。
地域の歴史資源を一体化し磨き上げ、さらに周辺の食や自然と組み合わせた観光クラスター(周遊コース)を整備し、たくさんの観光客に来県していただこうと努力している、そうです。
パンフレットを拝見しましたが、なかなか魅力的で、高知は食事もおいしいので、私も時間があればぜひまた来訪したいと思いました。
「志国高知幕末維新博」の会場案内図 | 周遊コース案内 |
2.高知市視察-高知城歴史博物館
8月8日(水)は、まず高知県立高知城歴史博物館を訪れました。この博物館は、6万7千点におよぶ歴史資料や美術工芸品を、所有者であった元藩主の山内家から寄贈され、この寄贈品を収蔵・展示している博物館です。
67000点の膨大な山内家資料は、長帳や古写真、家系図、南蛮帽や具足、カピタンの礼状、御菓子帳や絵巻、地球儀や望遠鏡など科学資料に及び、江戸時代の情報、海外との交流の歴史、地域の産業や民俗資料、江戸時代の科学や文学の資料として、大変な価値がある貴重なもの、ということでした。
博物館長にご案内、ご説明いただきながら、博物館を回りました。
まず、この博物館は高知城に隣接するため、高知城と調和するよう設計され、建物の内装は、土佐檜の壁、土佐打刃物の装飾が施された土佐漆喰の壁、土佐和紙を使用した天井など、随所に土佐の伝統工芸品を使用した、土佐の伝統を生かす、造りになっているのだそうです。
また、南海トラフ地震に備えて、主要な展示物は洪水が来ても安全な3階に展示している、ということでした。
まず、学芸員の方が、修復、復元作業を行う作業部屋を見せていただきました。この部屋で、現在、古文書の修復が行われているそうで、さまざまな修復途中の古書や作業用具が置かれていました。
それから、3つの展示室のある、メインフロアーの3階に行きました。展示室は、土佐の歴史の大年表、絵地図、土佐藩の歴史、幕末から明治の土佐の産業や教育に至るまで、多数の細かい資料が展示され、ひとつひとつ詳しく見ていくと、優に半日はかかりそうでした。
これらの資料を見ていくと、薩長土肥といわれ、中央政府では土州人はそれなりに幅を利かせていましたが、高知県はあまり恵まれておらず、たとえば教育制度も充実しているとはいい難い状況だったようです。
三菱財閥を起こした岩崎弥太郎なども、中央で成功した後はほとんど郷里高知には寄り付かず、展示でもほとんど触れられていませんでした。
また、土佐藩初代藩主の山内一豊は「やまうちかつとよ」と読むのが正しく、「やまのうちかずとよ」は誤りだそうです。NHKが2006年に「功名が辻」という大河ドラマで、「やまのうちかずとよ」の妻と放映したときは、高知県民からの嵐のような抗議がNHKに殺到したということでした。
1階エンテランス | 1階修復室 | 3階展示室前ロビー |
3.高知市視察-オーテピア
高知城歴史博物館の視察の後、徒歩でオーテピアに移動しました。まず、入館し、館内会議室で県立図書館館長からオーテピアについて、大まかな説明を受けました。
オーテピアは、高知県立図書館と高知市立図書館が、合築して建てられた全国初の図書館で、さらに、声と点字の図書館、高知みらい科学館の施設も有する5階建ての複合施設だそうです。そのため、館長もそれぞれ全部で4人いらっしゃる、ということでした。各館長のご案内で、施設を視察しました。
4人の館長からお話を伺いました | 会派区議団です |
まず、1階のオーテピア高知声と点字の図書館を見学しました。ここは、視覚に障害のある方のために、録音図書や点字図書、マルチメディアデイジー図書などが閲覧できるようになっており、視覚障害者のためのルーペや拡大読書機など機器の紹介展示コーナーもありました。
2階から4階が、県立図書館と市立図書館が合体した、オーテピア高知図書館でした。
全体的に木目が基調の、温かみのある、落ち着いた雰囲気の図書館でした。
案内していただいた図書館のスタッフの方にお聞きしましたが、図書館の蔵書は県立、市立に分けることなく、ラベルを付けて一緒に展示してあるのだそうです。2人いる館長(県立、市立)も、業務を分けてあり、重なることはないというお話でした。
2階には広大な一般図書や雑誌の展示コーナーのほかに、グループ室、静寂読書室、対面音訳室、共同楽習スペースなどの個別のスペースがあり、カウンターも総合カウンター、案内カウンター、調べもの案内デスク、こどもカウンターやセルフ貸出機など、さらにベビールーム、子ども用トイレ、おはなしの部屋など、至れり尽くせりで、ため息が出るほどでした。
また、スタッフの方も終始館内を巡回し、いろいろ相談にのっているようでした。
3階は、健康、安心、防災やビジネス、科学産業、高知資料コーナー、ことばと国際交流センターなど、やや専門的な図書が並んでいました。この階も、たくさんの人が読書をしていました。専門の医学書を見ている小学生がいたので、「将来、お医者さんになるのかい?」と声をかけた所、夏休みの宿題のために見ているのだ、という返事でした。
4階は見学はしませんでしたが、ホール、研修室などがあるそうです。
夏休みのため、2階、3階は多数の親子連れが来館されており、ディズニーランド並みのにぎわいでした。
図書館入り口では、NHKが撮影をしていました | 2階フロアを見渡す | 2階、3階の案内板です |
5階は、高知みらい科学館で、ここは図書館ではなく、博物館に近い施設で、宇宙・地球・科学体験ゾーン、高知の自然と生き物ゾーン、高知の科学・ものづくりゾーン、サイエンススクウェア、実験室、工作室に分かれていました。
物理、化学、生物、地学の全ての理科の領域が、体験学習できるように構成されていました。夏休みということもあり、子どもたちが目を輝かせて、いろいろな設備にチャレンジしていました。実験室では、係りの方の指導で、子どもたちがはんだ付けを行っていました。
この施設の一番の人気はプラネタリウムのようで、入り口には親子連れの長蛇の列ができていました。
このみらい科学館は、本当に素晴らしい施設でした。ここを訪れた子どもが、理科が好きになることは間違いなく、ぜひ品川区にも必要な施設だと思いました。
高知に行かれる予定のある方は、ぜひこの施設を訪問することをお勧めします。
4.高知市視察-山内家墓所参拝
高知龍馬空港に向かう途中、山内家墓所に参拝しました。この墓所(藩主墓域)は、山内家の代々の藩主15名が祭られているそうです。
ただ、山内容堂だけは明治期に品川で亡くなったため、お骨は品川にあるのだそうです。
ほとんど手入れがされていない、雑草の生い茂る荒れ果てた墓所は、「夏草や 兵どもが 夢の跡」という芭蕉の句が思わず浮かんでくるような情景でした。
側道は現在立ち入り禁止となっており、中央の石階段だけが通行できました。階段の最上部に、初代山内一豊の、卵塔と呼ばれる墓石がありました。
この墓所には15名の藩主が葬られていますが、墓石の形は卵塔型、笠付型、神道式土饅頭型などと年代ごとに代わり、また亀趺碑なども見られるそうです。
この山内家墓所は平成28年に国史跡に指定され、現在土佐山内記念財団が管理しているそうです。早くきれいに手入れして管理しないと、山内家代々の殿様が草葉の陰で泣いているような気がしました。
この墓所を後にして、空港に向かいましたが、飛行機が欠航したため、高知駅から土讃線、新幹線を乗り継いで、東京品川に戻ったのは午後10時近くになっていました。